【書籍解説②】現役商社マンが語る!!「鎌倉シャツ 魂のものづくり~第6章~」
こんにちは。
ふく たびおです。
今回で本書の解説記事も最後となります。
最終章となる第6章は~究極のSPAはいかに生まれたか~です。
1993年に鎌倉の繁華街の外れに1号店をオープンした鎌倉シャツ。
その誕生にいたるまでのお話となります。
今までの章の解説ではいかに同社の商品と精神が素晴らしいかを語ってきましたが、
本章を通してその由来するところを知って頂けると思います。
1、繁華街外れの閑古鳥の鳴く店
前述の通り、鎌倉シャツの1号店は鎌倉の繁華街の外れ、しかもコンビニの2階にオープンをしました。今から27年前の1993年のことです。
オープン当初は友人たちの来店もあったが、それが一巡するとピタリと来店が無くなり閑古鳥の鳴く日々が続いた。
雑誌記事の掲載をきっかけに再び来客が増え、今回はその品質の良さにより口コミでどんどんと客数が増えていき、これまでの成長に至る。
1984年にはユニクロ、1983年には無印良品がオープンをしている。
それらがメンズ専門店や西友PBとしての前身がある中でSPAとして成長していったことに対し、鎌倉シャツはまさにほとんどゼロに近いところからのスタートであった。
しかも、オープン当時の貞末氏はすでに53歳でした。
たしかに規模を基準にすればユニクロや無印良品には及ばないのは事実だが、品質と価格においては十分に戦えるレベルではないでしょうか。
創始者である貞末氏がてらいなく真正面から取り組む姿勢を貫くことで起こしたまさに奇跡のSPAと述べられている。
では、貞末氏のこの姿勢や信念はいかにして生まれたのだろうか。
それは過去の後悔や反省によるものである。
2、VAN Jacketの倒産に学ぶ
このロゴマークを見てピンときた方も多いのではないでしょうか。
日本のアメトラブームをけん引した元祖とも言えるブランドです。
貞末氏は約12年間VANに在籍しており、主に管理畑の職を担当していました。
実はこのVANは一度倒産しているのです。
その原因を本書で貞末氏は"あれはまさに異常成長(膨張)と語ります。
貞末氏の在籍当初のVANの成長は著しかった。
まさに作れば作るほど売れる状態だったという。
年商100億円を突破した同社は137億円の予算を提出すると180億を目指せ言われる始末。それでもやがて300億円を達成したのだから異常成長(膨張)と言えるだろう。
一方そんな中でも貞末氏は危機感を持っており、同社に度々進言をしていた。
"今こそ実態を見直し、足元を固めておかないと大変なことになる"
要するに生産と売場が全くリンクしていないというのである。
たしかに、生産側は予算達成分の商品を生産することばかり考え、売場の声は全く気にしないなんてことは業界が厳しい今の時代にも横行している。
作れば売れる時代ならまだしも、このアパレル不況といわれる今の時代にだ。
しかし、誰一人としてその話を真剣に受け入れるものはいなかった。
その結果、年商450億/負債額400億円の状態で倒産するに至ったのです。
その苦い経験が鎌倉シャツの経営方針に繋がっているのでしょう。
3、第6感に至る
第6感とは本書ではこのように述べられている。
"視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚の5感を研ぎ澄ますことで、それを超越すし物事の本質をつかむ「感」であり「勘」にたどり着く。"
私自身はそれは「思いやり」や「想像力」という言葉にも置き換えれると思います。
5感をフル活用し相手が何を求めているかを考え、想像するのです。
販売職とはまさにそれが求められる仕事だと思う。(当然、他の職種でも求めれる)
それに至るまでには時間も労力も要することでしょう。
しかし、現実は「給料が安い」・「やりがいがない」等の理由でやめていく人が多い。
つまり、プロを育成する土壌が他業界や他業職に比べ未成熟なのです。
前述のように素晴らしいスタッフが揃っている鎌倉シャツでさえ、自身の教育/販売はまだまだ未成熟という。
商品について確たるものがある同社が教育/販売(=人材)についても確たるものを確立した時には同社の更なる飛躍は間違いない。
好きだったブランドの信念や歴史を知れ、さらに好きになったきっかけの1冊でした。
もし、近くに店舗のある方はぜひ行ってみて下さい。
後悔することはないはずです。
最後までご覧頂きありがとうございました。
アパレル業界について、解説して欲しい本や内容があればリクエスト頂ければと思います。自分の知る範囲内で勉強しながら解説させて頂きます。
次回はGWにちなんで、おすすめ商品紹介の更新予定です。